今、話題の大河ドラマ
「青天を衝け」
視聴率も好調ですね!
主役は、渋沢栄一。
2024年には、一万円札になる
大物ですよね!
しかしながら、
この渋沢栄一という偉人。
あまり、何をした人かというのは
知られていない。。
その内容は、別で話しをするとして、
この
「青天を衝け」
のタイトルに実は、深いい話しが
あるのです!
今回はそのタイトルに迫っていきましょう!
どうやって名付けられた??
渋沢栄一は埼玉県深谷市の生まれ。
実家は藍玉(あいだま)で
財を築いた富農です。
栄一は19歳の時、藍玉を取引している染物屋
を訪問するため長野県に出かけるのですが、
途中、長野県佐久市にある
内山峡を訪れることになります。
内山峡はとても険しいV字谷。
その険しき道を登り抜いた栄一が
見た風景は、とても素晴らしく感動する風景で
ちょうどその頃、
尊王攘夷思考に
のめり込んでいた問題も盛んな時期。
その険しさと重ね合わせたのでしょう。
そこで
〝内山峡之詩〟
という漢詩を作ったのです。
その漢詩の中に
「青天を衝け」という一節が!!
その一節が
ドラマの題名に選ばれたのです。
と言われても、
この説明だけでは、
状況がよく分かりませんよね。
藍玉とは何のこと??
また漢詩って?
時代背景を詳しく辿って行きましょう。
藍玉とは
藍はタデ科の一年草植物で、
見た目は、〝雑草〟です。
夏ごろ葉を収穫します。
乾燥した後、積み重ねて、
ときどき水打ちすると
熱が出て発酵します。
2か月ほど発酵を進めて
出来上がったものが「すくも」と呼ばれる
染料です。
「すくも」は、
持ち運びが不便なので突き固めて
丸くします。
これが藍玉です。
藍玉は富の源だった!
栄一の父親は、優秀な商人で
藍の栽培から藍玉の製作まで
一貫して行っていましたが、周辺の農家から
藍の葉っぱの買い集めもやっていました。
武蔵国血洗島村(埼玉県深谷市)は、
水田に適した土地が少なかったために、
徳島県から
藍の栽培や藍玉の製法を
取り入れたそうです。
この藍玉。
実は、
富の源である貴重な材料だったのです!!
藍玉で財を成した人物
・渋沢家
・徳島の大名、蜂須賀家も藍玉で大富豪に
なりました。
・蜂須賀茂韶(もちあき)は銀行を設立し、
様々な事業に投資しました。
※渋沢栄一と蜂須賀茂韶は
東京鉄道組合、火災保険などの実業および
国際交流、教育など社会公共事業などで
幅広い交流がありました。
ともに藍玉で富を築いたのでした。
渋沢栄一は、事業家の息子なんですよね。
江戸時代には商品作物がたくさん作られる
ようになり、庶民の生活も豊かになって来
ました。藍はその中の一つです。
染料としては、藍の他に紅花が有名です。
布の材料としては麻、木綿、桑がつくられま
した。
楮(こうぞ:紙の原料)、漆、お茶など
も広くつくられました。
これら商品作物はすべて畑で作られます。
水田の場合、水が山から養分を運んでくれ
ますが、畑は肥料を施さないとすぐに作物が
採れなくなります。
そこでイワシ、ニシン、人糞を肥料に使いました。
当時としては世界で一番進んだ農業でした。
江戸時代の漢詩
さて、話を戻して
〝内山峡之詩〟で読んだ
青天を衝けを生み出した漢詩。
私たちにとって、馴染みのない言葉
ですが、
漢詩は、
武士などのお役人が学ぶものでしたので
農民出身の渋沢栄一が19歳で漢詩を読んだ
ことは、
現代人から見ると驚きですが、
当時としては特別に不思議な事では
なかったようです。
江戸時代は漢詩の黄金期でした。
藤原惺窩、林羅山、新井白石、荻生徂徠、など
儒学者が漢詩を書きました。その後、頼山陽や
与謝野蕪村など歴史家や芸術家にも親しまれ
ました。
戦国時代までは、漢文が読めるのは公家や僧侶
など一部の知識人に限られていました。
しかし江戸時代に入ると、藩校、私塾、
手習い所(寺子屋)などを通して教育のすそ野
が広がりました。
庶民も「論語」などの漢文を習うようになり、
漢文の素養が拡大しました。
また木版印刷技術が発達し、出版社(版元)、
本屋、貸本屋、などが出来て、書物が普及し
ました。
そして漢詩の世界は、知識人から庶民へ、
都市から地方へと広がって行ったのです。
無名の町人や農民、も参加するようになり
江戸の漢詩は爆発的に流行しました。
内山峡之詩
内山峽
襄山蜿蜒如波浪
西接信山相送迎
奇險就中内山峡
天然崔嵬如刓成
刀陰耕夫靑淵子
販鬻向信取路程
小春初八好風景
蒼松紅楓草鞋輕
三尺腰刀渉桟道
一卷肩書攀崢嶸
渉攀益深險彌酷
奇巖怪石磊磊橫
勢衝靑天攘臂躋
氣穿白雲唾手征
日亭未牌達絶頂
四望風色十分晴
遠近細辨濃與淡
幾靑幾紅更渺茫
始知壮觀存奇險
探盡眞趣游子行
恍惚此時覺有得
慨然拍掌歎一聲
君不見遁世淸心士
吐氣呑露求蓬瀛
又不見汲汲名利客
朝奔暮走趁浮榮
不識中間存大道
徒將一隅誤終生
大道由来随處在
天下萬事成於誠
父子惟親君臣義
友敬相待弟與兄
彼輩著眼不到此
可憐自甘拂人情
篇成長吟澗谷應
風捲落葉滿山鳴
書き下し文
内山峡之詩
襄山(じょうざん)蜿蜒(えんえん)として波浪の如く
西は信山に接して相送迎す
奇険は就中(なかんずく)内山峡
天然の崔嵬(さいかい)けずり成すが如し
刀陰の耕夫青渕子
販鬻(はんいく)信に向ひて路程を取る
小春初八好風景
蒼松紅楓草鞋(そうあい)は軽し
三尺の腰刀桟道を渉り
一巻の肩書崢(そう)こうを攀(よ)づ
渉攀(しょうはん)益々深くして険弥々(いよいよ)酷(きび)しく
奇巌怪石磊々(らいらい)として横(よこた)はる
勢は青天を衝き臂(ひじ)を攘(かかげ)て躋(のぼ)り
気は白雲を穿(うが)ち手に唾して征(ゆ)く
日亭未牌(びはい)絶頂に達し
四望の風色十分に晴る
遠近細辧(べん)す濃と淡と
幾青幾紅更に渺茫(びょうぼう)たり
始めて知りぬ壮観は奇険に存するを
真趣を探り尽くして遊子行く
恍惚として此の時得る有るを覚ゆ
慨然として掌(しょう)を拍(う)って一聲(いっせい)を歎ず
君見ずや遁世清心の士
気を吐き露を呑みて蓬瀛(ほうえい)を求むるを
又見ずや汲々たる名利の客
朝に弄り暮に走りて浮栄を趁(お)ふを
識らず中間に大道の存するを
徒らに一隅を将って終生を誤つ
大道は由来随所に在り
天下万事誠より成る
父子は惟(これ)親(しん)君臣は義
友敬相待つ弟と兄と
彼の輩(はい)着眼は此に到らず
憐れむべし自ら甘んじて人情を払うを
篇成りて長吟すれば澗谷(かんこく)応へ
風は落葉を捲いて満山鳴る
大河ドラマ「青天を衝け」の部分を取り出すと
勢いは青天を衝(つ)き
臂(ひじ)を攘(かかげ)て躋(のぼ)り、
気は白雲を穿(うがち)手に唾して征(ゆ)く。
青天を突きさすような勢いで、腕まくりして登り、
白雲を貫くような気持ちで、手に唾を付けて進む。
まとめ
テレビドラマを十分に楽しみましょう。