こんにちは!
みなさんは歴史が好きですか?
学生時代、歴史が得意な人と
苦手な人と分かれると思いますが、
私は好きでした!!
【歴史は繰り返す】とも
言われている通り、
歴史の流れからこれからの時代の
流れを紐解くことも出来ますし、
偉人の思想や行動から学ぶことで
新たな価値観を得たり、
ヒントを得たり、学ぶことが多いです。
今回は、偉人から学ぶ
私に最も影響を与えてくれた3人をご紹介します!
ちなみに
私が思う歴史上、
影響力が大きかった人物は
1位:源頼朝、2位:徳川家康、3位:大久保利通
だと思います。
その理由を下に書き綴ります。
①源頼朝
150年続いた鎌倉幕府を開いた将軍
天皇や貴族中心の政治から
武士が中心になって
政治をする仕組みを作った人物。
一言でいうと、
鎌倉幕府を作り、
日本ではじめて武士による政治を始め、
混乱していた世の中を立て直した人物です。
頼朝は封建時代を作った人物です。
そこで封建時代とは何か、
どうやって作ったのか話していきましょう。
封建制度とは??
「今、あなた(武士)が持っている土地を
私(将軍・幕府)が守ってあげるから、
代わり私のいうことに従って!」
こういうこと。
中央集権の国家権力が
弱体化し統治能力を失うと、
地方の豪族がてんでにやりたい放題を初めます。
そして豪族同士の喧嘩が始まります。
やがて豪族の間で
親分子分の関係が出来て行きますが、
親分子分の関係は固定的ではなく、
いざこざは続きます。
それが封建時代です。
誰かが頭の中で構想をねって作り上げたもので
はなく自然に出来たものです。
もともと封建時代は、
日本とヨーロッパで生まれました。
中国では中央集権国家が崩壊すると、
また新しい中央集権国家が生まれて、
それをくりかえすので
(易姓革命)封建時代は生まれませんでした。
頼朝が実行したことは、
同時代の平清盛と比較すると
分かりやすいです。
平清盛は娘を天皇に嫁がせ、
その子供を天皇にしています。
そして太政大臣になります。
つまり藤原氏の真似をし、
貴族の仲間入りをしたのです。
律令制度は既に壊れ、
荘園は公領より多くなり、
武士が台頭していたのに、
中央集権貴族国家の延命を謀ったのです。
それに対し頼朝は、
貴族が跋扈する京都を離れて
東国に幕府を樹立しました。
これが第一歩。
次に義経を捕まえるためにという名目で
守護と地頭を置く許可を得ます。
これが決定打です。
地頭とは荘園の管理者であって、
かつ頼朝の家来になることを誓った者達です。
土地を与える(封土)見返りに、必要なとき
兵をだす(軍役)という封建社会の骨格が出来
上がったのです。
頼朝の時、支配は東国だけでした。
支配が全国に広がったのは、承久の乱の後、
北条義時、泰時の時代になります。
封建社会の出現は、自然の流れですが、
頼朝はその流れを感じ取っていたのです。
②徳川家康
徳川家康は平和な封建社会を作りました。
数百年に及ぶ江戸時代を作り上げた「三英傑」の中の一人
徳川家康。
上で述べたように、社会の秩序が乱れた結果、封建制度が
出現しますが、封建制度になっても乱れた状態はいつまで
も続きます。
ヨーロッパの封建制を見れば分かります。
日本でも室町時代は酷く乱れた状態が続いていました。
ところが江戸時代になると、とても封建時代とは思えない
ほど平和で安定した社会になるのです。
江戸時代が安定していた理由を考えると
1、徳川が800万石を所有し(全国3000万石の26%)、
圧倒的な強さを持っていた。
2.湿原だった関東平野の治水を行い(利根川の流れを
変えた)広大な江戸の町を作り上げた。
3.家康の卓越した組織力。
家康の組織力は早くから発揮されていました。
平和な世の中を作った理由は次の通りです。
・敵として戦っていた武田の遺臣を自分の配下に
囲い込み強い武士団を作り上げた。
・信長が叩き潰そうとした伊賀甲賀の忍者達を自分
の味方につけた。
・関ケ原の戦いでは福島正則、山内一豊、池田輝政、
黒田長政、など豊臣恩顧の武将を味方に付けている。
江戸幕府を開いてからも巧みな組織力が発揮されました。
・寺院諸法度を作り、寺を、寺社奉行の管理下に置いた。
また檀家制度をつくり、寺に戸籍管理をおこなわせ、
寺を幕府の行政組織に組み込んだ。それにより宗教
一揆を抑え込んだ。
・伊賀甲賀の忍者達を100人組として組織し江戸城の
警備あたらせた。
・禁中並公家諸法度を作り、公家を政治に参加させない
ようにした。
などの理由で、
家康は世界のどこにもない平和で安定した
封建社会を作り上げました。
戦により領土を拡大すること
が出来なくなった藩主は、
新田開発や商品開発さらには
教育にも力を注ぎました。
商業も発達しアジアの中では
傑出した国になったのです。
③大久保利通
明治新政府の組織づくりを行った中心人物
大久保利通は廃藩置県を行い、
官僚制度を整え、富国強兵を
推進しました。
幕末から明治にかけて
おびただしい数の人達が活躍しています。
その中で明治新政府の組織づくりを行った中心人物が
大久保利通です。
特に強固な官僚組織を作りあげました。
日本の産業革命の下地は
江戸時代には確立していました。
蒸気船の造船、反射炉の建設、大砲の製造などは
江戸時代に行われていました。
しかし工場を作って
流れ作業で製品を作るという産業革命は
明治に入ってからです。
大久保利通が作った官僚組織が
それを推進していったのです。
産業革命が起こった時期を欧米と比較してみましょう。
産業革命が始まったおよその時期
イギリス 1760年頃
フランス 1830年頃
アメリカ 1830年頃
ドイツ 1840年頃
イタリア 1880年頃
日本 1880年頃
ロシア 1890年頃
日本の産業革命は、
ヨーロッパから専門家を呼んで学ぶ形
で行われましたが、
何とか欧米に大きく水を開けられないで、
キャッチアップ出来る距離に
保つことが出来ました。
大久保利通が作った
日本の官僚主導体質は、
現在まで続いています。
政治主導でないと選挙の意味が無い、
政治主導にすべきだと
主張している人がいますが、
財務官僚の力は未だに絶大です。
まとめ
奈良時代、平安時代の
中央集権国家が崩壊し、
鎌倉時代、室町時代、江戸時代の
地方分権国家になり、
明治維新で
また中央集権国家に戻りました。
今後どうなるのでしょう。
現代では、
交通網が発達し通信網も発達し、
人の移動も
情報の伝達も
素早くできるようになったので、
日本を分割して、
それぞれが軍備と通貨の発行権を持つ
ような地方分権は
日本を弱体化させるだけでしょう。
ただし東京一極集中は
緩和する必要があると思います。
【歴史から紐解いて、今後の流れを知る】
そんなこともしてみるのも面白いですよ!
最後までご覧いただき、
ありがとうございました!